2011年03月29日

震災の教訓A 〜都市と原発〜

私は原子力発電所と東京電力だけを悪者にして批判する気はない。

しかし、一人の電気の利用者として、考えなければならない事があると思っている。

今回は震災の教訓として、都市と原子力発電所の関係を考え、今後の思考と行動のよすがとしたい。

私は東京という都市を相手に仕事をしているが、今まで、都市を制約する最大の要素は「空間」、つまり土地建物であると考えてきた。

しかし、不動産鑑定の世界では、それ以外にも、都市の成長を制限する要素について考えなければならない事があった。

その一つは、上下水道の供給処理能力。例えば超大型のマンション等を計画する場合には、そういった点についても十分に対応できるかを確認しなければならない。

水についての十分なソリューションがないままに、都市を拡大することはできない。その点、東京の水道局はかなり優秀で、水質も、水量も、東京という巨大都市の屋台骨を支えていくのに十分な水インフラを提供していた。

豊かな水量を背景に、東京は水問題についてうといようだが、世界には水問題に苦しむ大都市が多くあり、都市の限界として、水問題が意識されているのは事実である。



では、電気はどうか?

電気については、何の疑問もなく、使いたければ、東京電力が何千万ワットでも供給してくれるような錯覚があった。

需要が上がる>>>東京電力が発電所を追加する

という単純なメカニズムが、戦後何十年も連綿と続いてきた。

東京電力資料によれば、昭和26年(1951年)に、冬ピーク166万kwhだった電気の最大需要量が、最近では夏ピークでその40倍の、6000万kwh前後である。
東京電力の資料。ご参照あれ

水力、火力と、増大するエネルギー需要に対応するために次々と発電所が作られてきたが、その選択肢のなかの一つとして原子力発電所の建設が、(その危険性をひた隠しながら)進められてきた。

今や、約三分の一は原子力に頼っている状況。(ちなみに福島の原発は、一基で70万kwhなので、6基で400万kwh以上ということになる。昭和26年の、東電三つ分)

原子力がなければとても追いつかない発電量であるが、水も電気も本質的には変わらず、絶対量の制約を受けていることが分かる。



今回の震災を通じて、私は東京という都市が、「電力の限界」という大きなカセの中でしか、本当は活動できない、逆にいうと、他県に巨大なリスクを負わせてまで、電力を消費して活動することは許されないのではないか?という気がしている。

原子力発電所のシステムの問題という人もいるだろう。しかし、圧倒的な自然の力の前に、分厚いコンクリートも亀裂が入り、崩壊してしまう現実を前に、いかにシステムを巧妙につくろうとも、リスクはなくなりはしないのではないか?という疑問は消えない。

自然災害はいつの時代も、人の常識を軽々と超えていくからだ。

放射性物質をまき散らしてしか、日本の経済は維持できないのか?
では放射能をまき散らして経済活動すれば、日本経済は破綻しないで済むのか?

変な話、経済というものは、どう運営してもうまくいかないような、どうしようもない面がある。であれば、そんなものを優先して、環境を破壊しても仕方ないのではないか?

今は計画停電という事で、一時的ではあるが発電の限界のなかで生活している。
しかし、今の私には、これが東京の本当の姿である、と思える。



原発は都市全体の問題、つまりは実質的に私たち一人一人の問題だ。

これからは、電気を有限な資源と捉え、如何にして電気を作るかよりも、如何に効率よく電気が使えるかを真剣に考える時だと思われる。
posted by RON at 14:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 国土交通問題
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